note (更新: 2026/3/14)

日本経済40年の敗北をたった一本の流れで説明する

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プラザ合意から「失われた30年」、そして今の円安問題まで――日本経済の40年を一本の流れで理解する

はじめに

「なぜ日本経済はずっと停滞しているのか」 「なぜ物価は上がっているのに給料が増えないのか」 「円安は本当に日本のためになるのか」

こうした疑問を持っている人は多いと思います。

ニュースを見れば「円安が進んでいる」「物価が高い」「実質賃金が下がっている」という話が出てきます。でもなぜそうなっているのか、なぜ解決しないのかを、きちんとつながった流れで説明してくれる機会は、意外と少ないものです。

この記事では、1985年のプラザ合意から始まり、バブル経済の発生と崩壊、失われた30年、そして今日の円安問題に至るまでを、一本の流れとして丁寧に整理します。

経済の専門家でなくても分かるように書きました。歴史の話と、今の生活に直結する話を合わせて読むことで、「あ、今起きていることはこういう流れだったのか」と納得してもらえることを目指しています。

難しい専門用語はできるだけ使わず、使う場合は必ず説明します。

ぜひ最後まで読んでみてください。

第一章 全体の流れを最初に把握しておく

細かい説明に入る前に、まず全体像を頭に入れておきましょう。

今から話す内容は、次のような流れで繋がっています。

① アメリカの貿易赤字が膨らむ   ↓ ② 「ドルが高すぎる」という問題意識が高まる   ↓ ③ プラザ合意で円高誘導(1985年)   ↓ ④ 急激な円高で日本の輸出企業が苦しくなる(円高不況)   ↓ ⑤ 景気対策として日本が低金利・金融緩和を続ける   ↓ ⑥ 土地と株にお金が流れ込み、資産バブルが発生   ↓ ⑦ 過熱を抑えるため日銀が利上げ(1989年〜)   ↓ ⑧ バブル崩壊   ↓ ⑨ 不良債権問題、企業・家計の防衛行動、デフレ   ↓ ⑩ 失われた10年→20年→30年へ   ↓ ⑪ 今も続く「企業は儲かっても家計は苦しい」という構造問題これが、1980年代から現在に至る日本経済の大きな地図です。

一つひとつの出来事は知っていても、この流れとして理解できている人は意外と少ないです。これを頭に入れながら読んでいただくと、それぞれの章の話が「ああ、あそこに繋がるのか」という感覚で読めるはずです。

では、最初から丁寧に見ていきましょう。

第二章 出発点:1980年代のアメリカの悩み

アメリカを苦しめた「貿易赤字」とは何か

1980年代の前半、アメリカは深刻な問題を抱えていました。

それが、巨額の貿易赤字です。

貿易赤字というのは、輸入額が輸出額を上回っている状態のことです。つまり、海外から買うものの金額が、海外に売るものの金額よりはるかに大きい、ということです。

なぜこんなことになったのでしょうか。

当時のアメリカは、ドル高が進んでいました。ドルが高い、つまりドルの価値が大きくなると、どういうことが起きるか。

アメリカから見ると:

  • アメリカ製品は海外に輸出すると「高い商品」に見えて売れにくくなる

  • 日本や西ドイツなどの外国製品はアメリカ国内で「安い商品」に見えて売れやすくなる

この結果、アメリカでは輸入が増え、輸出が減るという状態が続きました。

日本への強い不満

特に問題視されていたのが日本でした。

当時の日本は、自動車・家電・半導体などの分野で非常に強い競争力を持っており、アメリカ市場で大きなシェアを持っていました。

「ソニーのテレビ」「トヨタやホンダの車」「日立や松下の家電」が、アメリカの消費者に広く受け入れられていたのです。

アメリカ国内ではこんな声が上がりました。

  • 「日本が強すぎるせいで、アメリカの製造業が空洞化している」

  • 「このままではアメリカの雇用が守れない」

  • 「ドルが高すぎることが問題だ、ドルを下げるべきだ」

ここで大事なのは、アメリカの不満の矛先が「ドル高」という為替問題に向かったということです。

確かに、ドルが高すぎると競争条件が不公平になります。日本製品が安く見え、アメリカ製品が高く見えるわけですから、これを是正しようというのはアメリカにとって自然な発想でした。

こうして、「ドルを下げ、円やマルクを上げる」という国際的な為替調整の話が始まります。

第三章 プラザ合意とは何か――1985年の歴史的な合意

ニューヨークのホテルで起きたこと

1985年9月22日。

ニューヨークのプラザホテルに、5か国の財務大臣と中央銀行総裁が集まりました。

アメリカ、日本、西ドイツ(現在のドイツ)、フランス、イギリスの5か国です。

彼らはここで、協調して為替を調整することに合意しました。

これが「プラザ合意」と呼ばれる歴史的な出来事です。

合意の中身

プラザ合意の目的は、シンプルに言うとこうです。

  • ドルを下げる(ドル安にする)

  • 円やマルクを上げる(円高・マルク高にする)

方法は、各国が協調して外国為替市場で介入すること。具体的には、各国の中央銀行がドルを売って自国通貨を買うという形で、為替レートを動かすものでした。

当時のアメリカにとっては、貿易赤字問題を解決するための「切り札」でした。ドル安になれば、アメリカ製品は海外で安く売れ、輸入品は高くなる。そうすれば貿易赤字が縮小する、という計算です。

日本の立場

では、日本はなぜこれに合意したのでしょうか。

もちろん「合意したくなかった」という側面もあります。日本にとって円高は、輸出に不利になるため、経済的なダメージが想定されていました。

しかし当時の日米関係、つまり安全保障も含めた同盟関係の中で、アメリカからの強い要求を完全に断ることは現実的ではありませんでした。

また、「ある程度の為替調整には応じつつ、内需拡大や市場開放で対応する」という方向性もありました。

こうして日本は、プラザ合意に参加します。

為替の激変

プラザ合意の前、円ドルのレートは1ドル240円前後でした。

ところが合意後、円高は急速に進みます。

  • 1985年9月:1ドル約240円

  • 1985年末:1ドル約200円

  • 1986年末:1ドル約160円前後

  • 1987年末:1ドル約120円台

わずか2年ほどで、円の価値がドルに対して2倍近くに上昇したのです。

これは、日本の輸出企業にとって文字通り「激変」でした。

第四章 円高不況――日本を直撃した打撃

円高で何が起きたのか

円高になると、輸出企業にはどんな影響が出るのでしょうか。

分かりやすい例で考えてみましょう。

日本のある自動車メーカーが、アメリカで1台2万ドルの車を売っていたとします。

  • 1ドル240円のとき:1台の売上は 2万ドル × 240円 = 480万円

  • 1ドル120円のとき:1台の売上は 2万ドル × 120円 = 240万円

円高が進むだけで、円ベースの売上は半分になってしまいます。

これが輸出企業の経営を直撃します。売上は変わらないのに、円に換算すると利益が激減するのです。

円高不況の広がり

この影響は輸出企業だけに留まりませんでした。

輸出企業の業績が悪くなると、関連する部品メーカーや物流会社も苦しくなります。雇用が減り、賃金が伸びず、地域経済にも影響が出ます。

日本全体として、景気が悪化する「円高不況」と呼ばれる状態に陥りました。

当時の政府と日本銀行は、この状況に強い危機感を持ちました。

「円高で輸出産業が打撃を受け、景気が悪化する。何とかしなければならない」

という判断のもと、次の対策が取られます。それが「金融緩和」です。

第五章 景気対策としての金融緩和――そしてバブルへの道

金融緩和とは何か

金融緩和というのは、簡単に言うと「お金を借りやすく、安く借りられるようにする政策」です。

具体的には、中央銀行(日本では日本銀行)が政策金利を下げます。政策金利が下がると、銀行間でお金を貸し借りする金利が下がり、それが企業や個人の借入金利にも影響します。

金融緩和の流れはこうです。

金利を下げる  ↓ お金を借りやすくなる  ↓ 企業が積極的に投資できる  ↓ 個人も消費を増やしやすくなる  ↓ 景気が回復する円高不況への対策として、日銀は1986年から政策金利の引き下げを進めました。

問題は「低金利が長すぎた」こと

この金融緩和政策は、一定の意味がありました。円高の悪影響を和らげ、景気を下支えする効果は確かにありました。

ところが問題が一つありました。

低金利が長く続きすぎたのです。

円高不況への対策として始まった低金利政策でしたが、実際の経済がある程度回復してきてからも、緩和的な金融環境が続きました。

すると、「お金が借りやすい」状態が長く続いたことで、資金の使われ方が変わっていきます。

製造業への設備投資だけでなく、土地と株式への投資・投機へと、大量の資金が流れ込み始めたのです。

日本特有の事情が重なった

ここで、当時の日本特有の事情も重なります。

「土地神話」の存在

当時の日本社会には、「土地は絶対に値下がりしない」という強固な信念がありました。

これは根拠のない思い込みではなく、戦後の高度経済成長期を通じて、日本の地価は長期的に上がり続けてきたという「実績」に基づいていました。

「土地を持っていれば損をしない」「不動産は最強の資産だ」という認識が、社会全体に広く共有されていたのです。

銀行の貸し出し競争

低金利環境の中で、銀行は融資を積極的に増やしていきました。

不動産を担保に融資することが特に増えました。「地価は上がるから、土地を担保に取れば貸し倒れリスクは小さい」という計算です。

そして、融資された資金で土地が買われる → 地価が上がる → 担保価値が上がる → さらに融資できる → さらに土地が買われる、という循環が生まれました。

これが「信用膨張のスパイラル」と呼ばれる状態です。

株式市場も過熱

土地だけでなく、株式市場も急上昇しました。

企業も金融機関も個人投資家も、株式投資を積極的に拡大。日経平均株価は1980年代後半に急騰を続け、1989年末に史上最高値を更新し続けました。

まとめると

金融緩和(低金利)  ↓ お金が借りやすくなる  ↓ 「土地は値下がりしない」という信念  ↓ 不動産への大量投資  ↓ 地価が上昇  ↓ 担保価値が増えてさらに融資できる  ↓ さらに地価が上昇  ↓ 株価も上昇  ↓ 資産バブルの完成これが日本のバブル経済の仕組みです。

低金利という「火種」に、土地神話や銀行の過剰融資という「燃料」が加わり、巨大な炎が生まれたと言えます。

第六章 バブル期の日本――狂乱と熱気の1980年代後半

「東京でアメリカが買える」時代

1986年から1990年にかけて、日本社会は異常な熱気に包まれました。

地価は天文学的な水準まで上昇しました。有名な話として「東京の土地の値段でアメリカ全土が買える」という比較がされるほど、特に東京の地価は現実離れした水準に達していました。

東京の一等地のビルや土地の価格は、実際にそこで事業をするときの採算がまったく合わないレベルまで上がっていました。「買った人がまた誰かに高く売れる」という前提で価格が付けられていたのです。

株式市場も同様でした。日経平均株価は1989年12月29日に38,915円という史上最高値を記録しました(この水準を再び超えるのに、なんと35年近くかかることになります)。

バブル期の実態

バブル期の日本を具体的に描写するとこうなります。

不動産取引の過熱: 土地や建物が「もっと上がる前に買わなければ」という焦りで売買され、転売によって利益を得る「地上げ」が横行しました。地方の土地まで投機対象になり、農村の田んぼや山林まで実態以上の価格で取引されました。

銀行の過剰融資: 銀行は「担保があれば貸せる」という論理で、採算の合わない事業計画にも融資しました。ゴルフ場開発、リゾート開発、不動産投資など、あちこちで大規模なプロジェクトが動き出しました。

企業の財テク: 本業で稼いだお金を金融商品や不動産に投資する「財テク(財務テクノロジー)」が流行しました。製造業の会社が不動産や株で利益を上げるという光景が珍しくありませんでした。

消費の拡大: 好景気感から、高級外車・ブランド品・海外旅行・高級レストランへの消費が拡大しました。「ジュリアナ東京」に象徴されるような、派手な消費文化が花開いた時代でもあります。

でも、本当の豊かさではなかった

ただしここで重要なことがあります。

この時期に上昇していたのは主に「資産価格」であり、実体経済の生産能力や技術力がその分だけ伸びていたわけではありませんでした。

経済の基礎体力(生産性・技術革新・人材育成)という観点から見ると、バブル期の成長の多くは「期待と信用膨張」によるものでした。

つまりバブルとは、実態(ファンダメンタルズ)以上に価格が膨れ上がった状態のことです。膨れ上がった分は、いつか必ず「縮む」運命にありました。

第七章 日銀の利上げ――バブル崩壊の引き金

なぜ引き締めに動いたのか

1989年、日本銀行はバブルの過熱を警戒し始めます。

当時の日銀総裁は三重野康氏。後に「平成の鬼平」と呼ばれた人物です。

日銀が引き締めに動いた理由は、大きく2つです。

①バブルの過熱が明らかだった

地価も株価も、実体経済から大きく乖離した水準に達していました。「このままでは持続不可能だ」という判断は、経済の常識から見ても正しいものでした。

②インフレへの懸念

金融緩和が長く続いたことで、物価にも上昇圧力がかかっていました。インフレを抑制するためにも、金融引き締めが必要という判断がありました。

利上げと不動産融資規制

日銀は1989年5月に政策金利を引き上げ始め、その後も複数回の利上げを行いました。さらに大蔵省(現在の財務省)は1990年3月に「不動産向け融資の総量規制」を実施。不動産分野への新規融資を制限しました。

これで、バブルを支えていた「資金の流れ」が一気に細くなりました。

引き締めの問題点

利上げや融資規制の「考え方」自体は理解できます。過熱した資産市場を冷ますことは必要でした。

しかし問題は、その速度と規模でした。

  • 利上げのペースが速かった

  • 不動産融資規制が急激すぎた

  • バブルに依存した金融構造が非常に脆く、少しの衝撃で崩れやすかった

「過熱した市場を徐々に軟着陸させる」ことはできませんでした。

一度「下がり始める」と、誰もが「もっと下がる前に売ろう」と動き出し、価格が急落するという事態になりました。

第八章 バブル崩壊――逆回転の連鎖

株価の崩落から始まった

1990年の年明け早々から、日経平均株価は下がり始めます。

1989年末の38,915円という最高値から、1990年末には23,848円へ。1年で約40%下落しました。

翌1991年からは不動産価格も下落が鮮明になります。

逆回転のスパイラル

バブル期に「上昇の循環」があったとすれば、バブル崩壊後は「下落の循環」が起きました。

株価が下落する  ↓ 企業の保有資産(株式)の価値が減少  ↓ 地価も下落し始める  ↓ 不動産担保の価値が下がる  ↓ 銀行の融資先が返済できなくなる  ↓ 銀行の不良債権が積み上がる  ↓ 銀行が新しい融資を減らす  ↓ 企業が資金調達できなくなる  ↓ 企業の投資・雇用が縮小  ↓ 消費が減る  ↓ 景気がさらに悪化  ↓ さらに地価・株価が下がるバブル期は「上がるから買う、買うから上がる」という好循環でした。 崩壊後は「下がるから返せない、返せないから貸せない、貸せないからさらに下がる」という悪循環です。

バブル崩壊の規模

この崩壊の規模は、日本経済史上かつてないものでした。

地価については、東京圏の商業地は1991年のピークから2004年頃にかけて、実に70〜80%以上下落しました。株価も長期的に低迷が続き、最高値から最低値まで80%近く下落した時期もありました。

数十年かけて積み上げた「含み益」が、短期間で消滅したのです。

第九章 不良債権問題――銀行を蝕んだ爆弾

不良債権とは何か

バブル崩壊後、日本経済を最も深刻に蝕んだのが「不良債権問題」です。

不良債権とは、銀行が貸したお金のうち、返済が困難になったり、担保の価値が下がって回収できなくなったりした貸し出しのことです。

バブル期、銀行は不動産を担保にして大量の融資を行っていました。「土地は値下がりしない」という前提で、リスク管理が緩くなっていたのです。

ところがバブル崩壊で地価が大幅に下がると、この前提が完全に崩れました。

担保の土地を売っても、貸した金額を回収できない。融資先の企業も業績悪化で返済できない。こうして銀行には大量の不良債権が積み上がりました。

銀行が「貸せなくなった」影響

不良債権を大量に抱えた銀行は、経営が苦しくなります。

すると、新しい融資を行う余力がなくなります。

「お金を貸したくても貸せない」という状態になった銀行は、企業への融資を絞りました。

これは日本経済全体に深刻な影響を与えました。

企業は資金調達ができなければ、設備投資や新規事業への挑戦ができません。中小企業は特に深刻で、「業績自体は悪くないのに銀行が貸してくれない」という状況が広がりました。

処理の遅れが傷を深めた

さらに問題を悪化させたのが、不良債権処理の「先送り」です。

不良債権を最終的に損失として認識し処理することは、当然ながら銀行の財務を悪化させます。場合によっては、銀行が経営危機に陥ります。

当初、日本の金融当局や銀行は、この現実を直視することを先送りにしました。「いずれ地価が戻るのでは」「もう少し待てば改善するのでは」という希望的観測が、適切な処理を遅らせました。

この先送りが、傷を長引かせる最大の原因の一つとなりました。

1990年代後半になると、長期信用銀行や日本債券信用銀行などの大手銀行が相次いで経営破綻し、金融システム全体の信頼が揺らぎます。「どこの銀行が次に潰れるか」という噂が飛び交い、社会全体に不安が広がりました。

第十章 企業と家計の「守り」への転換

企業行動の大転換

バブル崩壊は、日本企業の行動様式を根本から変えました。

バブル期の企業行動は「攻め」でした。

  • 借金をして積極的に投資する

  • 規模を拡大する

  • 新しい事業に挑戦する

  • M&Aで成長する

しかしバブル崩壊後、企業行動は「守り」に転じました。

  • 借金を返済することを最優先にする

  • 手元の現金を厚く積み上げる

  • 投資を慎重に絞り込む

  • 雇用を守るために賃金の抑制も止むを得ないと考える

経済学者の吉川洋氏らが指摘した「企業部門の貯蓄超過」という現象がこれです。本来、企業は「投資のためにお金を借りる主体」のはずなのに、バブル崩壊後の日本企業は「借金を返しながらお金をため込む主体」に変わったのです。

家計も守りに入った

家計の行動も同様に変わりました。

バブル期には「資産が上がっているから、消費を増やそう」という「資産効果」で消費が活発でした。

しかし崩壊後は、

  • 土地・株の資産価値が大幅に減少

  • 将来の雇用・収入への不安が増大

  • 年金・社会保障への不信感が高まる

  • 「将来に備えてお金を貯めなければ」という心理が支配的になる

こうして家計も「使わない、ため込む」行動に転じます。

需要の消滅

企業が投資しない、家計が使わないとなると、経済全体で「需要」が弱くなります。

モノやサービスを買う人が少なくなれば、企業は値上げができません。むしろ値下げをしなければ売れないという状況になります。

そして、これが次の問題「デフレ」を生み出しました。

第十一章 デフレという「静かな毒」

デフレとは何か

デフレとは、物価が継続的に下落する(またはほとんど上がらない)状態のことです。

「物が安くなるんだから、いいことじゃないか」と思うかもしれません。

確かに、一時的に物価が下がることは消費者に恩恵をもたらします。しかし、デフレが長期的に続くと、経済全体にとって非常に深刻な問題になります。

デフレが経済を蝕む仕組み

デフレがなぜ問題なのかを、順を追って説明します。

物価が下がる → 企業の売上が減る

物が安くなるということは、企業が受け取るお金が減るということです。コストが同じなら、利益は減ります。

利益が減る → 賃金が上げられない

企業は賃金を上げる余力がなくなります。リストラや非正規雇用への切り替えが進みます。

賃金が上がらない → 家計が使えない

所得が伸びなければ、消費は増えません。

消費が弱い → さらに物価が上がらない

需要が弱い状態が続くと、企業はさらに値上げができません。むしろ競争のために値下げを余儀なくされます。

これが繰り返される「デフレスパイラル」です。

心理的なデフレの罠

さらに厄介なのが、デフレ期の心理です。

「今買わなくても、将来もっと安くなるかもしれない」

という心理が広がると、消費も投資も先送りされます。家を買おうとしていた人が「もう少し待てば安くなるかもしれない」と買い控え、企業も「今設備投資しても需要が増えないかもしれない」と投資を手控える。

この「将来への期待のなさ」がデフレを自己強化していくのです。

日本のデフレはいつまで続いたのか

日本のデフレは、おおよそ1990年代後半から2000年代を通じて続きました。GDPデフレーター(物価全体の動向を示す指標)で見ると、実に20年近くにわたって物価の下落または停滞が続きました。

これほど長期のデフレを経験した先進国は、現代史においてほとんどありません。日本の「デフレ」は、世界の経済学者が研究対象とするほど異例な現象でした。

第十二章 失われた10年が、20年、30年になった理由

「失われた10年」という言葉の誕生

バブル崩壊後の1990年代は、当初「失われた10年」と呼ばれました。1991年頃のバブル崩壊から約10年が過ぎても、日本経済が回復しなかったからです。

しかし時が経つにつれ、この言葉は「失われた20年」となり、さらに「失われた30年」へと変わっていきました。

なぜこんなに長引いたのでしょうか。一つの原因ではなく、複数の要因が絡み合っています。

理由① バブル崩壊の傷が大きすぎた

土地・株・金融システムという経済の基本インフラの3つが同時に深刻なダメージを受けました。

どれか一つなら比較的早く回復できたかもしれませんが、3つが同時に壊れた影響は計り知れませんでした。

理由② 不良債権処理の先送り

先ほど説明したように、銀行の不良債権処理が遅れたことで、金融システムが長期間「半壊状態」のまま機能することになりました。

健全な融資ができない銀行が多い状態では、企業の回復も遅れます。「ゾンビ企業」(本来は倒産すべき企業が銀行の支援で生き延びる状態)の存在が、経済の新陳代謝を妨げました。

理由③ デフレが「根付いた」

一度デフレが定着すると、そこから抜け出すのは非常に難しいことが分かりました。

物価が上がらないという「期待」が定着すると、企業も個人も「インフレになる前提で行動する」ことをしなくなります。長期デフレは、人々の心理と行動を変えてしまったのです。

理由④ 人口減少と少子高齢化

バブル崩壊と同じ時期から、日本の少子高齢化は加速しました。

人口が増えなければ、国内の消費市場も自然には大きくなりません。働く人が減れば、経済の成長力も落ちます。将来の人口減少を見越した「将来への悲観」が、投資や消費を慎重にさせました。

理由⑤ 構造改革の遅れ

インターネットの普及やグローバル化という「世界の変化」に、日本の産業構造が十分に対応できなかった面もあります。

半導体や電子機器で世界を席巻していた日本企業が、スマートフォン時代やプラットフォームビジネスへの転換で遅れを取りました。規制産業や内需依存産業では、生産性向上のスピードが遅く、経済全体の成長の足を引っ張りました。

理由⑥ 財政・金融政策のタイミングの難しさ

政府は何度も景気対策を打ちましたが、そのたびに「消費税増税」や「財政緊縮」によって回復の芽が摘まれる、ということが繰り返されました。

1997年の消費税3%から5%への引き上げ、2014年の8%への引き上げは、いずれも景気回復途上に実施され、その後の後退を招いたという見方があります。

景気を下支えする政策と財政健全化の要求が、長期にわたってぶつかり合いました。

第十三章 よくある「誤解」を整理する

ここで一度立ち止まって、この話でよく生まれる誤解を整理しておきましょう。

誤解1:「プラザ合意だけで失われた30年が決まった」

違います。

プラザ合意は確かに大きな転換点でした。しかし、プラザ合意自体が失われた30年の「直接の原因」ではありません。

プラザ合意が起こした急激な円高は「引き金」であり、そこから日本側が取った「金融緩和という対応」「バブルの膨張を許した規制の甘さ」「崩壊後の不良債権処理の先送り」「デフレ対策の遅れ」という、日本国内の政策判断と構造問題の連鎖が、失われた30年をつくりました。

つまり、問題の本質は「外から押しつけられた円高」よりも、「その後の日本自身の対応」にあるのです。

誤解2:「日銀の利上げが悪い」

これも単純化しすぎです。

確かに、利上げのタイミングや速度に問題があったという議論はあります。しかし、バブルを放置し続けていれば、もっと大きな崩壊になっていた可能性も十分あります。

問題の核心は、バブルを「膨らませすぎたこと」と「崩壊後の処理が遅く、深刻化したこと」の両方にあります。

「日銀が悪かった」という単純な悪者探しは、本質を見誤らせます。

誤解3:「失われた30年は、日本が全く成長しなかった時代だ」

これも正確ではありません。

失われた30年の間も、日本には世界で高い競争力を持ち続けた企業や技術分野はありました。自動車産業、精密機械、素材化学、医療機器など、多くの分野で日本は世界水準にあります。

ただし、国全体で見ると、実質GDPの成長率が先進国中で最も低いグループに属し続けたこと、賃金が30年間ほとんど伸びなかったこと、物価も伸びなかったことは事実です。

「成長がゼロだった」のではなく、「成長が非常に弱く、伸びるべき賃金や物価が伸びなかった長期停滞」というのが実態に近いでしょう。

第十四章 今の円安問題――構造が変わった日本で何が起きているか

ここからは、過去の話から「今」の話に移ります。

失われた30年の間に、日本の経済構造は大きく変わりました。その変化を踏まえずに「円安は日本のためになる」と言うのは、時代遅れの認識です。

「円安政策」は本当に存在するのか

まず大前提として確認しておきましょう。

今の日本政府や日本銀行が「円安そのもの」を最終目的にしているかというと、厳密にはそうとは言い切れません。

日本銀行の公式の目的は、物価安定と経済の安定です。直近では、政策金利を0.75%に設定しつつ、賃金と物価の好循環が実現するかどうかを慎重に見極めながら金融政策を運営しています。

しかし現実には、

  • 日本の金利は相対的に低い

  • 米国などは日本よりも高金利の時期が長く続いた

  • その結果、高金利のドルが買われ、低金利の円が売られやすくなる

  • 結果として円安が進む

という流れが生じます。

つまり、「円安を狙っている」というより、「低金利を続けた結果として円安になりやすい政策構造だった」という理解が正確です。しかし国民の目から見れば、その結果として「円安政策をやっているのとほぼ同じ効果」になっているわけです。

昔は「円安がいい」と言われた理由

1980年代には、円安は日本経済にとってプラスという考え方が強くありました。

なぜかといえば、当時の日本は典型的な「輸出主導型経済」だったからです。

例を挙げて考えてみましょう。日本企業がアメリカに車を1台2万ドルで売るとします。

  • 1ドル100円のとき:売上は 2万 × 100円 = 200万円

  • 1ドル150円のとき:売上は 2万 × 150円 = 300万円

円安だと、ドル建ての売上を円に換算したときの額が増えます。コストが同じなら、利益が増えるのです。

だから昔は、「円安 = 輸出企業が儲かる = 日本経済にプラス」という論理が成り立ちやすかったのです。

「日本で作って、海外に輸出する」という力が非常に強かった1980年代には、この論理にはそれなりの説得力がありました。

でも今の日本は、当時とは構造が大きく違う

ここが最も大切なポイントです。

今の日本は、昔ほど単純な輸出主導国ではありません。

①輸出から海外生産へのシフト

1980年代の日本企業は「日本で作って海外に売る」モデルでした。

しかし今は、「海外で作って海外で売る」モデルの企業が非常に多いのです。

トヨタ、ソニー、日立など主要企業の多くは、製造の重心を海外に移しています。円安になっても、日本国内の工場がフル回転するわけではありません。企業の連結決算上は利益が増えて見えても、それが日本国内の雇用や賃金の増加に直結するとは限らないのです。

②日本は輸入依存国

そして最も重要なのが、これです。

日本は資源の乏しい国です。エネルギー、食料、原材料の多くを海外に依存しています。

日本が大量に輸入しているもの:

  • 原油(エネルギーの約40%を石油に依存)

  • 液化天然ガス(LNG)

  • 石炭

  • 小麦・大豆・トウモロコシ(食料の約60〜70%を輸入に依存)

  • 飼料・肥料原料

  • 各種鉱物資源

  • 木材

これらはほぼすべて、ドルなどの外貨建てで取引されます。

円安になると、同じ量の原油やLNGを輸入するのに、より多くの円が必要になります。

原油が1バレル100ドルだとすると:

  • 1ドル100円のとき:1バレル 1万円

  • 1ドル150円のとき:1バレル 1万5,000円

原油のドル建て価格が変わっていなくても、日本円で支払う額は5割増しになるのです。

円安の打撃はどこに届くか

このエネルギーや食料の輸入コスト増は、最終的に家計に広く届きます。

  • 電気代・ガス代の上昇

  • ガソリン代の上昇

  • 食料品の値上がり(小麦粉・油・乳製品など)

  • 外食価格の上昇

  • 日用品・消耗品の値上がり

  • 物流コスト増による幅広い商品の値上がり

円安は「輸出企業の一部には追い風」でも、「家計全体にとっては重い逆風」になりやすいのです。

第十五章 「企業が儲かれば国民も豊かになる」が成り立たない理由

バブル崩壊前の日本経済では、こういう「循環」が働くと信じられていました。

輸出企業が儲かる  ↓ 雇用を増やし、給料を上げる  ↓ 従業員の消費が増える  ↓ 内需が拡大する  ↓ 日本全体が豊かになるこの「トリクルダウン」と呼ばれる考え方は、かつての日本では一定程度機能していました。

しかし今の日本では、この流れが弱いのです。なぜでしょうか。

理由1:企業が利益を賃金より内部留保に回しやすい

企業が円安で利益を増やしても、その利益が即座に大幅な賃上げに結びつくとは限りません。

バブル崩壊後、日本企業は「手元に現金を厚く積む」という行動様式が定着しました。将来の不確実性に備えた内部留保の積み増し、株主への還元(配当・自社株買い)、海外での設備投資などに利益が回ることが多く、国内従業員の賃上げへの波及は限定的になりがちです。

実際、日本企業の内部留保(利益剰余金)は2023年時点で500兆円を超えるとも言われており、「企業はお金を持っているのに使わない」状態が続いています。

理由2:非正規雇用の拡大

バブル崩壊後の構造改革の中で、雇用の非正規化が進みました。

非正規労働者の割合は、1990年代初めの約20%から、2020年代には約37〜38%にまで増加しています。

企業収益が上がっても、雇用構造が変化しているため、利益の果実が国民全体の賃金に均等に波及しにくくなっています。特に非正規雇用者は、好況期に大幅な賃上げを受けにくい構造にあります。

理由3:海外利益が国内に落ちにくい

グローバルに展開する大企業は、海外で稼ぐ比率が非常に高くなっています。

円安で大企業の連結業績が改善しても、その利益が日本の地方経済や一般家庭にまんべんなく届くわけではありません。大都市圏の一部業種や大企業の株主には恩恵が届いても、地方の中小企業や非正規労働者にはなかなか届かないという格差が生まれやすいのです。

理由4:物価高の悪影響が即座に家計へ来る

これが最も重要な非対称性です。

企業利益の増加が賃金に反映されるまでには、時間差があります(春闘→ベースアップ→支給まで半年以上かかることも)。

しかし円安による輸入物価の上昇は、数ヶ月以内に食料品や光熱費の値上がりとして家計に直撃します。

つまり、「恩恵は遅く少なく、痛みは早く広く」という非対称な構造が生まれているのです。

この結果として、実質賃金(物価の上昇を差し引いた実質の賃金)が下がるという現象が起きます。

名目の賃金が少し上がっても、それ以上に物価が上がれば、生活は苦しくなります。

第十六章 円安で得する人、損する人

客観的に整理すると、円安から恩恵を受けやすいのは次のような層です。

恩恵を受けやすいグループ:

  • 海外で大きく稼ぐ大企業(自動車、電機、精密機械など)

  • 海外資産(外国株、外国不動産)を多く持つ投資家

  • インバウンド需要(訪日外国人向けサービス)を取り込める業種(観光・宿泊・飲食・小売り)

  • 輸出比率の高い中堅・中小企業

一方で、円安の負担を受けやすいのは:

負担を受けやすいグループ:

  • 一般家庭(特に食費・光熱費の比率が高い低〜中間所得層)

  • 輸入原材料や輸入食材に頼る中小企業・食品業者

  • 電気・ガス・燃料コストの影響が大きい業種(農業・漁業・食品加工・運輸)

  • 海外旅行や輸入品を消費したい家庭

円安の恩恵は「一部の業種・企業・投資家に偏りやすく」、負担は「広く一般家庭に広くかかりやすい」という構造があります。

つまり、円安は分配上の問題を生じさせやすい政策環境でもあるのです。

第十七章 なぜ政策当局は円安を完全には止めないのか

「では、なぜ政府や日銀は円安をもっと積極的に止めないのか」と思う人も多いでしょう。

理由は複数あります。

理由① 日銀の本来の目的は「為替」ではない

日本銀行は公式には、物価安定と経済の安定を目的に金融政策を運営しています。為替レートの水準を直接コントロールすることは、日銀の主目的ではありません。

日銀は現在、「賃金と物価の好循環」が実現しているかどうか、「基調的なインフレが2%目標に向かって安定して推移しているか」を見極めながら政策を運営しています。

「円安を止めるために金融引き締めをする」という判断は、日銀の使命の観点からは整合的ではないのです。

理由② 金利を急激に上げると別の問題が生じる

円安を阻止するために急激に金利を上げると、さまざまな副作用が出ます。

  • 住宅ローン金利の上昇: 変動金利型住宅ローンを抱える家庭の返済負担が増大する

  • 企業の借入コスト上昇: 特に借入依存度の高い中小企業への打撃が大きい

  • 政府の利払い費増大: 日本は先進国最大規模のGDP比債務を抱えており、金利上昇は財政にも直撃する

金利を上げることで「円安の問題」を解決しようとすると、「借金が多い人・企業・政府への打撃」という別の問題が生じます。これがジレンマです。

理由③ 為替は日本だけで決まらない

為替レートは、日本の事情だけで決まるものではありません。

米国との金利差、世界の資金の流れ、地政学的リスク、投機的な動きなど、様々な要因で決まります。

日本が「円を上げたい」と思っても、米国の金利が高い状態が続けば、投資家はドルを買い円を売り続けます。日本銀行一国の政策だけで為替を恒久的に固定することはできません。

財務省は必要に応じて為替介入を行い、円の急落を抑えることはありますが、これはあくまで「行き過ぎた動きへの対応」であって、為替レートを特定の水準に維持し続けることは現実的ではありません。

第十八章 「昔のロジック」と「今の現実」の違い

ここで、失われた30年の背景と今の円安問題を合わせて、整理しておきましょう。

昔の日本経済の論理(1980年代まで):

円安  ↓ 輸出企業が儲かる  ↓ 国内雇用・設備投資が拡大  ↓ 賃金が上昇する  ↓ 日本全体が豊かになる今の日本経済の現実(2020年代):

円安  ↓ 輸入価格が上がる  ↓ エネルギー・食料・日用品の物価が上昇  ↓ 家計の実質的な購買力が低下  ↓ 賃金上昇が物価上昇に追いつかない  ↓ 実質賃金が低下する  ↓ 消費が弱まる  ↓ 国民は豊かさを感じない同時に、企業は連結業績の改善を享受しているにもかかわらず、その利益が国民の賃金や国内投資に十分に還元されないという「ねじれ」が発生しています。

「企業は儲かっているのに、なぜ生活は楽にならないのか」

という疑問の答えがここにあります。

第十九章 「円高なら全部解決」でもない――バランスの重要性

ただし、ここで「だから円高にすれば問題が解決する」という単純な結論に飛びつくのも危険です。

極端な円高にも深刻な問題があります。

急激な円高の弊害:

  • 輸出企業の採算悪化(利益の減少・工場閉鎖・雇用削減)

  • インバウンド需要の消滅(外国人旅行者が来にくくなる)

  • 株価への下押し圧力

  • 企業の「海外移転」加速(国内空洞化)

  • 金融引き締めによる景気後退

これらは1990年代の円高局面でも実際に起きたことであり、決して軽視できません。

だから「極端な円安が問題だ」と言っても、答えが「円高にしましょう」ではないのです。

本当に必要なことは何か

為替の水準だけが問題ではありません。本当に重要なのは、経済の構造問題を解決することです。

具体的には:

①賃金の継続的な上昇

円安や物価上昇があっても、それ以上に賃金が上がれば、実質的な生活水準は改善します。「賃上げが物価上昇を上回る」状態を作ることが不可欠です。

②価格転嫁の適切な推進

中小企業が原材料費の上昇を取引先に転嫁できず、コストを自社で丸ごと吸収してしまう「価格転嫁の難しさ」問題を解決する必要があります。下請け構造の中での価格交渉力の格差を是正することが重要です。

③利益の国内還元

企業が稼いだ利益を、内部留保として積み上げるだけでなく、国内の人材投資・設備投資・賃上げに積極的に使う仕組みを作ることが必要です。

④輸入依存のリスク分散

エネルギーや食料の輸入依存を長期的に減らしていく取り組み(再生可能エネルギーの拡大、国内農業の競争力強化、食料安全保障の観点からの政策)が重要です。

⑤内需の強化

輸出企業の業績に頼らずとも経済が回るよう、国内消費・国内投資・サービス産業の生産性を高めることが求められます。

第二十章 まとめ――日本経済の40年を一本の流れで

最後に、この記事全体を一本の流れで振り返りましょう。

過去の流れ

1980年代前半、アメリカは貿易赤字に悩んでいました。ドル高が原因と判断したアメリカは、1985年のプラザ合意で主要国と協調し、円高誘導を行いました。

急激な円高は日本の輸出企業を直撃し「円高不況」を招きます。これに対して日本政府・日銀は金融緩和で景気を支えようとしました。

しかしこの低金利が長く続いたことと、「土地は値下がりしない」という土地神話、銀行の過剰融資が重なり、土地と株を中心とした巨大な資産バブルが発生しました。1980年代後半の日本は、熱狂的な好景気に包まれます。

過熱を抑えるため、日銀は1989年から利上げに転じ、不動産融資規制も強化されました。これがバブル崩壊の引き金となります。

1990年代初めから株価・地価が急落。銀行には不良債権が山積し、企業も家計も「守り」に入ります。消費が萎縮し、需要が弱くなり、デフレが定着しました。

この状態が長期化した結果が「失われた30年」です。

今の問題

失われた30年を経て、日本の経済構造は大きく変わりました。

今の日本は、単純な輸出主導国ではなく、エネルギー・食料・資源を海外に大きく依存する国です。しかも多くの大企業は製造拠点を海外に移し、「日本で作る」から「海外で作る」に変わっています。

こうした構造の中で円安が進むと、輸出大企業の連結業績は改善されても、国内の物価上昇を通じて家計の実質的な購買力が低下します。企業が稼いだ利益が、かつてほど素直に賃金上昇や国内投資に結びつかないため、「企業は儲かっても、家計は苦しい」というねじれが起きやすくなっています。

本当に必要なこと

問題の本質は「円安か円高か」という為替の水準ではありません。

  • 賃金が継続的に上がること

  • 物価上昇を上回る所得の伸びが実現すること

  • 中小企業まで利益が回ること

  • 内需が強化されること

  • 輸入依存のリスクが分散されること

これらが実現して初めて、「国民が豊かさを実感できる経済」が取り戻されます。

「輸出企業を優遇すれば国民も豊かになる」という発想は、今の日本の経済構造には当てはまりません。国民生活の改善を中心に据えた経済政策の設計が、今求められているのです。

補章 デフレに慣れた民間が自立しようとしていたとき、何が起きたのか

「失われた30年」は、本当にただの停滞だったのか

ここで一度、立ち止まって考えてほしいことがあります。

「失われた30年」という言葉は、いかにも日本経済が無為に時間を浪費したかのような響きがあります。しかし本当にそうだったのでしょうか。

確かに賃金も物価も伸びず、成長率も低かった。それは事実です。

でも別の見方をすれば、バブル崩壊という未曾有の打撃を受けた日本の民間経済は、長い時間をかけながらも、自分たちなりに「デフレの中での生き方」を学び、適応してきたとも言えます。

企業はコスト管理を徹底し、品質を高め、無駄を削ぎ落とした。 家計はお金の使い方を慎重にし、身の丈に合った消費行動を身につけた。 銀行も不良債権を少しずつ処理し、バブル期の過剰融資体質を改めた。

これは「停滞」であると同時に、長期にわたる民間の自己修復プロセスでもありました。

デフレへの「適応」が進んでいた

2000年代の後半から2010年代の初めにかけて、日本経済には小さな変化が生まれつつありました。

  • 企業の財務体質はバブル期に比べて格段に改善された

  • 不良債権問題は大きな山を越えた

  • 一部の製造業は円高の逆風の中でも競争力を保ち、構造転換を進めた

  • 若い世代を中心に、「安くて良いもの」「シェアする消費」「無駄を持たない生活」という価値観が根付き始めた

物価が上がらない世界を前提に、企業も消費者も、それなりの均衡点を探り当てようとしていた。

「デフレは悪だ」と言われ続けながらも、民間の現場ではデフレの中でも豊かさを追求する知恵が育まれ始めていたのです。

そこに「強制インフレ」が割り込んだ

2013年、アベノミクスとともに始まった日本銀行の「異次元の金融緩和」は、こうした民間の自律的な回復プロセスに、大きな転換を迫りました。

政策の出発点にあった問題意識は理解できます。

  • 「デフレを脱却しなければ経済は成長しない」

  • 「2%のインフレ目標を達成して、経済を正常化する」

  • 「大胆な金融緩和で期待に働きかけ、マインドを変える」

この考え方自体は、経済学の一つの理論に基づいています。

しかし現実に起きたことを振り返ると、いくつかの深刻な問題が生じました。

問題1:インフレは起きたが、賃金が追いつかなかった

アベノミクスの理論では、こういう順番でインフレが好循環をもたらすはずでした。

金融緩和で円安・株高  ↓ 企業業績の改善  ↓ 賃上げ  ↓ 消費拡大  ↓ 物価上昇  ↓ 経済の好循環しかし現実に起きた順番は、これとは違いました。

金融緩和で円安  ↓ 輸入コスト上昇  ↓ エネルギー・食料品の値上がり  ↓ 家計の実質購買力の低下  ↓ 消費が弱まる賃金が上がる前に、輸入物価という形で「コストプッシュ型のインフレ」が先に家計を直撃したのです。

これは、政策当局が想定した「需要拡大によるデマンドプル型インフレ」とは、まったく異なるメカニズムのインフレでした。

問題2:民間が「求めていなかった」インフレだった

ここが本質的な問題です。

デフレ下であっても、日本の民間企業は着々と体力を回復させていました。内部留保を積み上げ、借金を減らし、国際競争力のある分野では存在感を発揮していました。

家計も、低価格・高品質を追求する行動の中で、それなりの生活水準を保っていました。

「物価が上がらないから不幸だ」という実感は、少なくとも生活者のレベルでは、それほど強くありませんでした。

むしろ民間が本当に求めていたのは、

  • 将来への不安を取り除く社会保障の安定

  • 正規・非正規の格差是正と雇用の安定

  • 子育て・教育コストの軽減

  • 地方経済の再生

といった「生活の安心」に関わるものでした。

「とにかく物価を上げる」という政策は、こうした民間の本当の需要とはずれたところから設計されていたと言えます。

問題3:超低金利の長期化が「副作用」を累積させた

異次元緩和を支えた超低金利政策は、10年以上にわたって続きました。

その間に、様々な副作用が累積していきました。

銀行の収益悪化: 低金利環境の長期化により、銀行は貸し出しで利益を上げにくくなり、地方銀行を中心に経営体力が削られました。

年金・保険の運用難: 超低金利は、年金基金や生命保険の運用環境を極端に悪化させました。「老後の安心」を支える資産運用が機能しにくくなったのです。

資産格差の拡大: 金融緩和は株高・不動産価格上昇をもたらしましたが、その恩恵を受けられたのは資産を持つ人々でした。資産を持たない若い世代や低所得層は、物価上昇の負担だけを受けました。

円安の定着: 長期にわたる低金利は、日米の金利差を固定化し、構造的な円安圧力を生み出しました。その結果、後に訪れる急激な円安と物価高の「土台」が作られてしまいました。

問題4:「出口」が極めて難しくなった

超低金利・大規模緩和を長く続けた結果、日本銀行のバランスシートは膨大に膨らみました。日銀は国債の大量保有者となり、事実上、財政と金融政策の境界が曖昧になっていきました。

こうなると、「いつ・どのように緩和を縮小するか」という出口戦略が、極めて難しくなります。

金利を上げれば、国債価格が下落し、大量の国債を持つ日銀のバランスシートに打撃を与えます。同時に、政府の利払い費が増大します。

「緩和をやめられない」状態が続く中で、円安と物価高だけが着実に進行する。これが今の日本の置かれた状況の一側面です。

民間の「自然な回復」と「人工的なインフレ」の本質的な違い

ここで、根本的な問いを立てておきたいと思います。

自然なインフレとは何か。

それは、企業が新しい価値を生み出し、人々がその価値にお金を払いたいと思い、賃金が上がって消費が増えた結果として物価が上がる、という状態です。需要が先に増え、その結果として物価が上がる。

この順番では、物価が上がっても生活者は豊かさを感じられます。

政策による強制インフレとは何か。

それは、需要が増えたわけでもなく、生産性が上がったわけでもなく、ただ「お金の量を増やし、円の価値を下げること」で、外側から物価を押し上げようとするものです。

この順番では、物価が上がっても生活者は豊かさを感じません。むしろ、同じお金で買えるものが減るという「実質的な貧困化」が起きます。

日本のここ10年余りで起きたことは、残念ながら後者に近かったと言えます。

「失われた30年」よりも、実は今のほうが苦しい家庭も多い

一つの逆説として、こういう事実があります。

「失われた30年」と言われた時期、日本の物価はほとんど上がりませんでした。

賃金も上がらなかったが、物価も上がらなかった。

その意味では、「生活コストが毎年上がり続ける」という苦しさは、少なくともデフレ期には存在しませんでした。

しかし今は、賃金の伸びを上回るペースで物価が上がり続けています。

スーパーで買い物をするたびに「また値上がりしている」と感じる。光熱費の請求書を見るたびに驚く。給料日前には財布が空になる。

こうした「生活の苦しさ」は、物価がほとんど動かなかったデフレ期にはなかった感覚です。

民間がデフレに適応しながら少しずつ立て直そうとしていたところに、人工的なインフレが割り込んだ結果として、多くの国民が「デフレのときより今のほうが生活が苦しい」と感じているのは、決して気のせいではないのです。

では、何が本当に必要だったのか

この問いに対する答えは簡単ではありませんが、一つの方向性は示せます。

物価を「上から押し上げる」のではなく、賃金を「下から押し上げる」ことが先だった、ということです。

物価が上がってから賃金を追いかけるのではなく、賃金が上がったことで消費が増え、その結果として需要主導で物価が上がる。この順番でなければ、国民は豊かさを感じることができません。

具体的には、

  • 最低賃金の大胆な引き上げ

  • 非正規雇用の処遇改善と同一労働同一賃金の徹底

  • 中小企業の価格転嫁を可能にする取引慣行の是正

  • 社会保険料・教育費・住居費といった家計の固定支出の軽減

  • エネルギー・食料の国内調達力を高める長期的な産業政策

こうした「賃金と生活コストの両面からの改善」なしに、単に「物価を上げる」ことだけを目標にした政策は、国民の実感とは逆方向に作用しやすかったのです。

まとめ:「誰のための経済政策か」という問い

デフレの苦しさは本物でした。

しかし民間は、その苦しさの中でも、確実に自分たちの足で立ち上がろうとしていました。

そのプロセスに、「とにかく2%のインフレを達成する」という政策目標が強引に割り込んだ結果、民間の自律的な回復は中断され、代わりに「輸入コスト主導の物価高」と「実質賃金の低下」という形で、そのツケが国民生活に回ってきました。

「経済政策は誰のためにあるのか」

その問いを突き詰めれば、答えは一つのはずです。

企業の決算数字のためでも、GDPの数字のためでも、インフレ目標の達成のためでもなく、一人ひとりの国民の生活が、今日より明日のほうが少し豊かになることのためにあるはずです。

その原点に立ち返ることが、今の日本の経済政策に最も必要なことではないでしょうか。

おわりに

プラザ合意から失われた30年、そして今の円安問題に至るまで、かなり長い話になりました。

最後に、この記事の要点を一言で言うなら:

「日本経済の停滞は、外から押しつけられた問題であると同時に、日本自身が積み重ねてきた判断と構造の問題でもある。そして今も、その構造問題は続いている」

ということです。

「誰かが悪い」という話ではなく、歴史的な経緯と構造的な問題を正確に理解したうえで、「では今何を変えなければならないか」を考えることが大切だと思っています。

特に地方の政治に関わる立場から言うと、こうした経済の大きな流れを理解することは、身近な政策判断の背景を知るためにも、市民への説明責任を果たすためにも、非常に重要だと感じています。

経済の仕組みは難しそうに見えて、基本的な流れは「なるほど」と理解できるものです。ぜひこの記事が、そのための一助になれば幸いです。

あとがき 円が70円台だった頃のこと

少し個人的な話をさせてください。

2011年前後、円は歴史的な高値圏にありました。一時は1ドル70円台後半という、戦後最高値に迫る水準まで円高が進みました。

輸出業界や経済評論家たちは口を揃えて言いました。

「超円高が日本を壊している」 「このままでは製造業が消える」 「円高は国難だ」

では、実際に生活していた国民は何を感じていたのでしょうか。

海外旅行がとても安くいけた。 輸入品が安かった。 ガソリンも、食料品も、今ほど家計を圧迫しなかった。 同じ給料で、今よりずっと豊かな生活ができた。

つまり、「専門家が最悪と言っていた時代」が、多くの生活者にとっては「一番豊かだった時代」として記憶されているのです。

これは偶然でも錯覚でもありません。

円が強いということは、日本に住んで円で生活する人間の「購買力」が世界の中で最も高くなるということです。エネルギーも食料も原材料も、円建てでは安く手に入る。海外のものが何でも割安に感じられる。

輸出企業の決算は苦しかったかもしれない。でも、スーパーのレジを通る家族の財布は、今よりずっと軽くなかった。

あの頃、確かに日本の民間は苦しみながらも、少しずつ自分たちの力で立て直そうとしていました。デフレに適応した生活の知恵を積み上げ、企業は体質を改善し、家計は身の丈に合った豊かさを見つけようとしていた。

それが「良い思い出」として残っているのは、あの時代の生活に、今よりも確かな「生活の手応え」があったからではないかと思います。

翻って今はどうでしょう。

円は150円を超える水準が続き、スーパーに行くたびに値上がりに驚き、光熱費の請求書を見るたびため息をつく。給料は少し上がったかもしれないが、それ以上に生活コストが上がっている。

「あの頃のほうが良かった」という感覚は、単なる懐古ではありません。

数字が正直に証明していることです。

円が強かった時代、日本に住む普通の人々の購買力は、今よりも確かに高かった。

経済政策の「成功」や「失敗」は、GDPの数字でも、インフレ率でも、株価でもなく、普通に生活している人が「今日も何とかやれている」と感じられるかどうかで測られるべきだと、私は思います。

あの70円台の頃の記憶が「いい思い出ばかり」であるなら、それはその時代の経済が、少なくとも生活者の側に立っていたということの、何よりも正直な証言です。

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